ロクレ&ルシンガー(ラ・クールティーユ)
1775〜85年 染付手書きで交差する矢の窯印
コーヒー・カップ:H=65mm、D=74mm/ソーサー:D=132mm
 本品にはアカンサスの二重スクロール(一巻き目が終結し、別の枝腕が巻き出して伸長する)が描かれ、余白は金彩による細かい草文様が埋めている。スクロール同士の起点部にはダイヤモンド形の金彩文様があり、末端部の間には焦げ茶地にグリザイユ(灰色の単色描き)でネオ・クラシック風の花瓶を描いた擬似カメオのメダイヨンが配置されている。
 脚部が僅かに開いたカップの造形は、パリ製のコーヒー・ウエアを代表するシェイプである。
 






ロクレ&ルシンガー(ラ・クールティーユ)
1775〜85年 染付手書きで交差する矢の窯印
タス・リトロン:H=60mm、D=61mm/スクプ:D=126mm
 ヘクスト窯の造型師だったラウレンティス・ルシンガーは、ファルツ−ツヴァイブリュッケンで製磁業を営もうとしたが、短期で破綻した。1772年に妻のエリーザベトが亡くなると、遺産を競売にかけて借金を清算し、パリに現れてサン・ドミニーク通りグロ・カユーの工場を買った。翌1773年にはアドヴニエとラマール(ラマーレ)にこれを売却し、その資金をもとにフォンテーヌ・オー・ロワ通りに窯を持っていたジャン・バティスト・ロクレと資本提携した。(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.32参照)
 1784年に、この窯は色絵金彩の使用を許可されたが、セーヴル窯によって年間あたりの販売総額が在庫総額の十分の一にも満たない金額に厳しく規制されたので、経営に見切りをつけたロクレは1787年、ルシンガーに経営権を売却した。
 十年後の1797年までには、ルシンガーも深刻な借金状態に陥り、リモージュのプーヤから仕入れていた硬質磁土(カオリン)の代金未払いを引き起こした。そこで以後はフランソワ・プーヤが経営権を掌握することになった。
 この窯の作品は、パリの他窯に比べると、素磁・釉薬・絵付けともに非常に品質が高い。ただし様式的には、本品にみられるように形状・文様ともにセーヴル窯への模倣性が強い。
 

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