ロイヤル・ウースター
1913年 商標登録された通常のロイヤル・ウースター社の窯印
コーヒー・カップ:H=49mm、D=53mm/ソーサー:D=98mm
 盛り上げ金彩(レイズド・ゴールド)で大小の実をつけた植物のボーダー装飾が施された作品で、19世紀後半に流行したジャポニスム工芸の影響を受けたデザインである。ここに見る絵柄は、植物の自然の状態を写し取ったスタイルを生かしながらも、一定のリズム感と僅かなデフォルメを付加することにより、うまく文様化することに成功している。金彩は細密で、日本製の漆芸作品の風情を巧みに模倣している。
 地色は艶のある中間色の青緑で、俗に「翡翠(ひすい)色」や「セージ・グリーン」などとも表現される。本品は6客のセットに組まれ、スプーンとともに箱入りで販売されていた。同一の意匠で他にピンク色や黄色、青色などの作例も残されている。
 





ロイヤル・ウースター
1932〜33年 商標登録された通常のロイヤル・ウースター社の窯印
コーヒー・カップ:H=51mm、D=54mm/ソーサー:D=110mm
 艶のある紺色地に銀彩で葉文様を施し、盛り上がった黄色とオレンジ色のエナメルで果実が描かれている。この銀彩は表面に変色防止加工をしていないので、放置しておくと黒ずんでくる。
 葉文様と果実の外線、蔓のように下がる細い線状デザインが銀のプリントで、葉の中は手彩色で銀が塗られている。この作品が製作されたのは1930年代前半であるが、図柄はアール・ヌーヴォー(アーツ・アンド・クラフツ運動の結果としての)様式の連続文様の形式に基づいている。
 器型はロイヤル・ウースター社製デミタス・サイズのコーヒー・カップにしばしば用いられた形状の後期タイプのバリエーションで、ハンドルにサムレスト(親指掛け)とインナー・スパーが造形されている(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」 p.128上参照)。
 本品は六客セットになっており、スターリング・シルバーに紺色のエナメル仕上げのスプーンが付属している。
 






ロイヤル・ウースター
1907年 商標登録された通常のロイヤル・ウースター社の窯印
コーヒー・カップ:H=50mm、D=96mm/ソーサー:D=110mm
 金彩の線と黄色のバンドで装飾されたデミタス・サイズのコーヒー・カップで、三つのC形を組み合わせた装飾的なブロークン・ループ・ハンドルが取り付けられている。カップは表側の黄色が透けるほど薄く、バンドの部分は凹状のリード装飾(凹縞繋ぎ)となっている。これは1795〜1805年にかけて流行した「ハミルトン・フルート」と呼ばれるビュート・シェイプのカップの一種を模したものである。本来「フルート」とは凸縞の連続を指すが、凹縞繋ぎのビュート・シェイプを「ハミルトン・フルート」と称している。
 本品は色違いの六客セットで、他に水色やピンク、黄緑、オレンジなどがある。このような色違いセットを「ハーレクイン・セット」という。「ハーレクイン(英語)」は「アルルカン(仏語)」「アルレッキーノ(伊語)」と言った方がわかりやすいだろう。マイセン窯やニンフェンブルク窯の「イタリアン・コメディー(コンメディア・デッラルテ)」という道化芝居の人形シリーズの中で、色とりどりの菱形文様の衣装を着けているのがそれである。三股のトンガリ帽子の先に鈴を付けている場合もある。「アルルカン」は、シニカルでダークな笑い、媚びや諂い、ズル賢さを性格とする。この「アルルカン」の衣装に似て、色がさまざま、というところから付けられたのが「ハーレクイン・セット」という呼称である(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.207参照)。
 






ロイヤル・ウースター
1928年 商標登録された通常のロイヤル・ウースター社の窯印
コーヒー・カップ:H=47mm、D=53mm/ソーサー:D=96mm
 1851〜52年にかけて、ウースター窯の経営は歴代のチェンバレン一族の手を離れ、株主が替って「カー&ビンズ、ウースター」となった。1862年には会社組織が再編成され、ウースター窯はエドワード・フィリップス、ウィリアム・リザーランド以下の新体制で、「ザ・ウースター、ロイヤル・ポーセリン・カンパニー・リミテド」として新たな出発を切ることになった。この名称が後の「ロイヤル・ウースター」のもとになっている。
 20世紀になると、チェンバレン一族の親戚筋で、ウースター地方に窯があったグレンジャーズ・ウースターが、1902年にロイヤル・ウースターに合流した。さらに1903年に、やはりウースター地方で窯業を営んでいたジェームズ・ハドレイが亡くなり、後を継いだ息子達は1905年に、ハドレイズ・ウースターをロイヤル・ウースターに合流させた。こうして20世紀初頭に相次ぐ統合合併を成し遂げて発展したロイヤル・ウースターには、様々な窯の職人が寄り集まり、それぞれの造形や絵付けの芸風のままで製作するようになり、家代々の異なる伝承技が作品に生かされていった。他窯の作風や家の口伝は、ほとんど混ざり合うことなく、独立した技術として別個に継承されていった。
 ロイヤル・ウースターでは、問屋制家内工業と工場制手工業の中間的な業務形態を採っていたが、絵付け師に関していえば、問屋制家内工業に極めて近いスタイルだった。職人は朝自宅を出て工場に通勤してくるが、それぞれにコテージ風の個別工房が与えられ、人が訪ねて来た場合も、秘伝の材料や道具を片付けてからでないと、ドアの鍵を開けなかった。会社は本焼成した白磁を工房まで届け、納期や価格(手間賃)を決めて仕上げ品を買い取ったり、場合によっては職人自らが作品の売り込み交渉をすることもあった。したがって閉鎖された空間から生まれる個々の家の芸は独立し、秘術は包み隠された。そのため今日のロイヤル・ウースター社では、その全てを再現することが不可能となっている。
 この作品はそのような穏やかな時代、1928年に作られた。絵付け師はグレンジャー出身のジェイムズ・スティントン(1870〜1961)で、彼は雉などのゲームバード(狩猟用の鳥)を好んで描いた。ここに見る飛び上がる鴨の図は、通称「フライング・ダック」という。
 スティントン一族は代々グレンジャーズ・ウースターの絵付け師を輩出してきたため、親戚一同の画風も皆グレンジャー系の描き方をする。簡単な区別を述べると、グレンジャー系の絵は背景(余白)を白くする。これに対してハドレイ系の絵では背景(余白)を黄色くする。この分類で絵付け師の来歴を辿れば、ほぼ間違いなく「背景白=グレンジャー出身、もしくは出身の親方の弟子」「背景黄色=ハドレイ出身、もしくは出身の親方の弟子」となっている。
 なおスティントン一族に伝わる秘伝は「丁字油の技法」で、顔料に丁字油を混ぜることによって色絵に艶を与えて発色を鮮やかにし、また絵の具の乾きが遅くなるために仕事がし易くなる、というものであった。この一族の系図等については、「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.32〜33をご参照いただきたい。
 

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