ロイヤル・ウースター
1928年 商標登録された通常のロイヤル・ウースター社の窯印
コーヒー・カップ:H=47mm、D=53mm/ソーサー:D=96mm
 1851〜52年にかけて、ウースター窯の経営は歴代のチェンバレン一族の手を離れ、株主が替って「カー&ビンズ、ウースター」となった。1862年には会社組織が再編成され、ウースター窯はエドワード・フィリップス、ウィリアム・リザーランド以下の新体制で、「ザ・ウースター、ロイヤル・ポーセリン・カンパニー・リミテド」として新たな出発を切ることになった。この名称が後の「ロイヤル・ウースター」のもとになっている。
 20世紀になると、チェンバレン一族の親戚筋で、ウースター地方に窯があったグレンジャーズ・ウースターが、1902年にロイヤル・ウースターに合流した。さらに1903年に、やはりウースター地方で窯業を営んでいたジェームズ・ハードレイが亡くなり、後を継いだ息子達は1905年に、ハードレイズ・ウースターをロイヤル・ウースターに合流させた。こうして20世紀初頭に相次ぐ統合合併を成し遂げて発展したロイヤル・ウースターには、様々な窯の職人が寄り集まり、それぞれの造形や絵付けの芸風のままで製作するようになり、家代々の異なる伝承技が作品に生かされていった。他窯の作風や家の口伝は、ほとんど混ざり合うことなく、独立した技術として別個に継承されていった。
 ロイヤル・ウースターでは、問屋制家内工業と工場制手工業の中間的な業務形態を採っていたが、絵付け師に関していえば、問屋制家内工業に極めて近いスタイルだった。職人は朝自宅を出て工場に通勤してくるが、それぞれにコテージ風の個別工房が与えられ、人が訪ねて来た場合も、秘伝の材料や道具を片付けてからでないと、ドアの鍵を開けなかった。会社は本焼成した白磁を工房まで届け、納期や価格(手間賃)を決めて仕上げ品を買い取ったり、場合によっては職人自らが作品の売り込み交渉をすることもあった。したがって閉鎖された空間から生まれる個々の家の芸は独立し、秘術は包み隠された。そのため今日のロイヤル・ウースター社では、その全てを再現することが不可能となっている。
 この作品はそのような穏やかな時代、1928年に作られた。絵付け師はグレンジャー出身のジェームズ・スティントン(1870〜1961)で、彼は雉などのゲームバード(狩猟用の鳥)を好んで描いた。ここに見る飛び上がる鴨の図は、通称「フライング・ダック」という。
 スティントン一族は代々グレンジャーズ・ウースターの絵付け師を輩出してきたため、親戚一同の画風も皆グレンジャー系の描き方をする。簡単な区別を述べると、グレンジャー系の絵は背景(余白)を白くする。これに対してハードレイ系の絵では背景(余白)を黄色くする。この分類で絵付け師の来歴を辿れば、ほぼ間違いなく「背景白=グレンジャー出身、もしくは出身の親方の弟子」「背景黄色=ハードレイ出身、もしくは出身の親方の弟子」となっている。
 なおスティントン一族に伝わる秘伝は「丁字油の技法」で、顔料に丁字油を混ぜることによって色絵に艶を与えて発色を鮮やかにし、また絵の具の乾きが遅くなるために仕事がし易くなる、というものであった。この一族の系図等については、「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.32〜33をご参照いただきたい。
 

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