ミントン
1873年 刻印で MINTON の窯印
ティー・カップ:H=68mm、D=77mm/ソーサー:D=140mm
 セーヴル窯の地色である「ブリュ・セレスト(空の青)」をコピーした青色が印象的な作品である。この青色の部分は厚く盛り上がったエナメルで仕上げられており、地色ではない。この部分を焦げ茶色の枠で囲い、枝垂れ桜をデザイン化した金彩文様が描かれている。白地に薔薇の樹と花、鳥絵を描き、絵の周囲を金彩で塗り潰している。鳥は三種類のフィンチが三羽ずつ描かれているが、それぞれ一番下の一羽だけが灰色のモノクローム描き(グリザイユ)になっている。
 





ミントン
1876年 刻印で MINTON の窯印
ティー・カップ:H=67mm、D=75mm/ソーサー:D=134mm
 薔薇の一輪花と勿忘草のフェストゥーンで飾ったティー・カップで、焦げ茶色の枠取りの中にアシッド・ゴールド(腐食地文金彩)による「ウーイ・ド・ペルドリ(イワシャコの目)」の文様があしらわれている。その他に蓮根を輪切りにしたような図柄のメダル文様も、アシッド・ゴールドで仕上げられている。
 「ウーイ・ド・ペルドリ」とはセーヴル窯でデザインされた丸目連続文様で、図柄がイワシャコ(ヨーロッパヤマウズラ)の目に似ているところから名付けられた。ミントンではこの意匠をコピーして使用している。
 アシッド・ゴールドは、本焼成した磁器に文様を付けた耐食性のマスキングかフィルムを施し、強酸で釉薬と磁質を図柄の凹凸状に腐食させて作るレリーフで、ここに金を焼き付けてから凸部分を磨いて仕上げる。したがって「金を腐食させている」「金彩を彫っている」「金彩に厚みがある」などの説は全て誤りである。
 カップの形状は19世紀後半に流行した「ファヌル・シェイプ」である。
 






ミントン
1853〜58年
コーヒー・カップ:H=66mm、D=74mm/ソーサー:D=142mm
 本品は1851年のロンドン万博以降のフランス磁器ブームと、翌1852年にサウス・ケンジントンに開館したヴィクトリア&アルバート・ミュージアムの展示品に対するコピー・ブームを背景として製作された。
 素磁はボーンチャイナだが、形状はセーヴル窯の「ゴブレ・エベール型」のコピーで、カップとソーサーの高台脇にはそれぞれ、セーヴル旧軟質磁器に見られる吊し焼きの跡穴を模した窪みが造形されている。ただしソーサーは、エベール型に特有の稜線・輪花の造形になっていないので、同様の企画のコールポート窯製品の方が、より完全なセーヴル写しということになる(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.115参照)。
 絵柄は松枝型に白抜きされたパネル内に、紅白の薔薇やポピーをはじめとする多種の花絵が描き込まれている。この花絵にはあまり勢いがなく、迫力に乏しい。
 地色は「青林檎色」と称されるセーヴル窯の「ポム・ヴェール」を模したもので、全体に「ウーイ・ド・ペルドリ=イワシャコ(ヨーロッパヤマウズラ)の目」という文様が施されている(→チェルシーのページ参照)。この地文様もセーヴル窯の模倣で、本品では目玉文様の外線が波打ち、八つの凹凸ができているが、このようなヴァリエーションもセーヴル窯製品にしばしば用いられたデザインであり、ミントン社のオリジナルではない。したがって本品のパネル絵、地色、地文様のスタイルは、いずれもセーヴル窯第一ロココ時代第一期装飾を写したものだといえる。
 ミントン社は1840年代初頭からセーヴル磁器のコピー品を製作する方針をたて、1851年のロンドン万博以後には、これを一層強化して推進した。1870年代には普仏戦争の戦火を逃れてイギリスに移住したフランス人磁器職人を積極的に雇い、セーヴル窯由来の技術や芸風を取り込んでいった。ミントン社では工場内の公用語をフランス語とし、フランス人職人の労働環境を整えることによって、より多くの外国人職人の流入を助けた。「国際化」が他の先進文化の移転・模倣だった1870年代に、ミントン社ではアントニン・ブルミエやマルク・ルイ・ソロンなどのフランス人達の活躍によって、製品デザインの大陸化をはかり、1878年のパリ万博には、フランス趣味の作品を逆に本家に持ち込んで勝負した(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.140参照)。
 このような磁器芸術の在り方と外国人職人の移動は、同じスタッフォードシャー地方のコープランド社やウェッジウッド社に大きな影響を与え、パリ万博が開催された1878年には、ウェッジウッド社がボーンチャイナの製造を約半世紀ぶりに再開した。また同1878年からようやく製品の流通が始まった新興企業のダービー・クラウン・ポーセリン(後のロイヤル・クラウン・ダービー)でも、同社の特徴である伊万里写しばかりでなく、次第にフランス趣味のデザインの重要度を認識するようになっていった。
 






ミントン
1870年 刻印で MINTON の窯印
ティー・カップ:H=68mm、D=77mm/ソーサー:D=137mm
 多彩なエナメルで、実際にいる鳥や蝶を描いた、博物尽くし風の絵柄である。絵付け師の画力は少々劣っていて、博物図誌の巧みな写しとまでは言えないが、フィンチ類やハチドリなどが鮮やかに表現されている。一見蛾と間違えそうな蝶は、シジミチョウ類を描いている。カップとソーサーで合計五羽の鳥と四匹の蝶がおり、ハンドルが付いている部分のパネルにだけ蜂が一匹描かれている。
 パネル枠はセーヴル窯の地文様「ウーイ・ド・ペルドリ(山ウズラの目)」をコピーした図柄を、アシッド・ゴールド(腐食地文金彩)技法で描いている。これはステンシル状に文様をマスクした磁器表面を、強酸を用いて腐食させ、凹凸で文様を表してから酸を洗浄し、その上に金をのせて焼き付け、磨き上げる技法で、クリストファー・ドレッサーを中心とする研究グループが、ミントン社のために開発した。
 カップの形は19世紀後半の英国で大流行したファヌル・シェイプ(funnel=じょうご)で、ミントンの他にもロイヤル・ウースター、コールポート、コープランド、ダヴェンポート、ブラウン=ウエストヘッド&ムーア(コウルドン)などを中心に、この形状で大量の作例が残されている。ファヌル・シェイプのオリジナルもまた、セーヴル窯である(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.42、p.211参照)。
 

 

 


ミントン
1871年 刻印で MINTON の窯印
コーヒー・カップ:H=57mm、D=57mm/ソーサー:D=130mm
 この作品は工業デザイナーのクリストファー・ドレッサーが、ミントン社のために1870年頃にデザインした原画の一部を取り出し、コーヒー・カップの装飾としたものである。白色の七宝繋ぎ文や如意型の宝雲文、腐食地文金彩でメアンダー文(雷文)、連珠文、五色の花文など、中国由来のデサインが見られる。
 ミントン社の博物館の学芸員が「ターコイス地」と呼ぶ「ブリュ・セレスト」写しの強い水色は、色絵付けではなく厚いガラス層で、白抜き部分を除いて全体に水色をかけて焼いた後、さらにその上に色絵・金彩を描いている。
 同じクリストファー・ドレッサーのデザインによる類似作の飾り皿が「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.75に掲載してあるので、ご参照いただきたい。
 

 

 


ミントン
1872年 刻印で MINTON の窯印
ティー・カップ:H=64mm、D=90mm/ソーサー:D=145mm
 ソーサー中央に蓮の葉が一枚大きくあしらわれ、カップの底には蓮の葉六枚と、三本の脚が作られている。ハンドルは植物の枝を模した中国写しの造形である。このデザインのカップ&ソーサーは様々な絵柄のバリエーションが製作されたので、この図柄専用の形状ではない。
 セーヴル窯の「ブリュ・セレスト地」をコピーした「ターコイス地(ミントン社の呼称)」の上に描かれた模式的な花と葉のパターンは、クリストファー・ドレッサーがミントン社のためにデザインしたもので、多くの作例が残されている。我が国でも東京国立博物館に収蔵されている明治天皇御物のミントンのうち、鳥絵の皿の縁ボーダーにこの柄を見ることができる。
 

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