ニューホール(1795〜1805年)
ティー・ボウル:H=48m、D=83mm/ソーサー:D=128mm
ファクトリーX(1795〜1805年)
【アンソニー&イノック・キーリング、もしくはジョン・ターナー】
ティー・ボウル:H=56mm、D=89mm
ファクトリーZ(1795〜1805年)
【トーマス・ウルフ&Co.、もしくは初期マイルズ・メイソン】
ソーサー:D=125mm
 ここではニューホール、ファクトリーX、ファクトリーZという異なる3メーカーが、ほぼ同時期に製造した同じ図柄のティー・ボウル&ソーサーを比較する。
 ニューホール窯の作品は、グレーがかった薄手で鋭い硬質磁器製で、波打つピンク色のリボンと薔薇などの小花のデザインは、同窯でパターンNo.186とされるものである(本品には書き込みなし)。絵は細い筆で丁寧に描かれている。ソーサーはかなりの深型にできている。
 ファクトリーXは、造形が鋭くなく、モールドの角が甘く、比較的厚めでぽってりとした仕上がりが特徴である。パターン・ナンバーはNo.126である(本品には書き込みなし)。このひねり造形のティーボウルは、ニューホール窯にも同様の意匠があるので(ただし造形は細かく鋭い)、多くの場合ニューホール製と誤って認識されている。本品も「ニューホール」として販売されていた。
 ファクトリーXの釉薬はニューホールよりも透明感があり、「ソフト」と表現されている。これはより鉛の配合比率が多いからと考えられる。また中期以降の磁胎の分析結果ではリンが多く含まれるため、ある程度骨灰の配合があるとされ、これによって透過光は青緑色を呈する。しかし筆者の経験からは、透過光は若草色に近く、よりはっきりした緑色であると言える。磁胎にはしばしば不純物や大きめの挟雑物が混ざり、口縁など末端部の釉薬は荒れ、オレンジ〜茶色の焼き色が着く場合がある。ペッパー状の細かい灰降りも見られる。このようにファクトリーXの磁胎と釉薬の質感は、ニューホールとはかなりの相違がある。
 ファクトリーZのソーサーも、ニューホールと同様にかなりの深型に作られているが、全体の大きさや高台の高さが違っている。パターン・ナンバーはNo.116である(本品には書き込みなし)。ファクトリーZはクリーム色がかった釉薬で、表面にはさざ波のような凹凸がある。透過光は暗いオレンジ色である。絵付けの顔料の色は重く冴えない感じである。このソーサーもまた「ニューホール」として販売されていた。

 ファクトリーXは、ニューホール窯との関連が深いアンソニー&イノック・キーリング窯か、ジョン・ターナー窯の作品ではないかとされる。キーリングとターナーの二人は最初期のニューホール窯に資本参加していた株主であるが、一年もしないうちにグループから抜けてしまった。その際にブリストル式の硬質磁器の製造権と、コーンウォール産カオリンの使用権を持つ形で身を引いたのではないかとも考えられている。ただしファクトリーXが製造したのは真正硬質磁器ではなく、ハイブリッド・ハードペースト(擬似硬質磁器)である。また現在キーリング窯が作ったことが判明している非常に数少ない磁器のサンプルは、ファクトリーXの作品とは全く質感の異なるものであると言われる。そのためファクトリーXがキーリング窯と同一であるとは言い切れない現状にある。
 一方ジョン・ターナーは1787年に亡くなっているため、ファクトリーXの時代には二人の息子ウィリアムとジョンが窯を経営していた。ターナー窯のオリジナルの磁器は一定の数が残されている。筆者の経験ではそれらターナー窯の作品はとても優れており、ウースターを模した「ロイヤル・リリー柄」の染付作品などは、本家ウースター以上の出来映えだし、本サイトのコールポートのページで見られる「$パターン」が描かれたマグは、その図柄やモールドがフランス製ではあり得ないにもかかわらず、「セーヴル窯」として販売されていた。後にターナー兄弟がミントン窯に招かれて磁質と釉薬の改良を行うが、このターナーの参入でミントンが獲得した新しい白磁は、極めて優れた品質であった。筆者が「ミントンのターナー白磁」と呼ぶこのボーンチャイナは、白く滑らかで、今日でもほとんど経年変化をみせていない。本サイトの初期ミントンのページで、赤い草文様のカップ&ソーサーに用いられている素材がそれである。またターナー窯の作品に、ニューホール窯の絵付け師だったフィデル・デュヴィヴィエが加飾した作品が残されており、このことからターナー窯はニューホールとの友好関係にあり、同様の素材で共通する絵柄の製品を作る権利を持っていたか、少なくともニューホール窯との特許権侵害などの争いにはならなかったのではないか、すなわち「ファクトリーX=ターナー」なのではないかと考えることもできるわけである。
 しかし前述のような優れた技術を持っていたターナー窯で、粗雑で品質が落ちるファクトリーXのような磁器を作ったかどうかは、筆者にとっては否定的な方向で疑問、ということになる。現時点ではファクトリーXをキーリング窯とする見方が、より有力となっている。
 ターナー兄弟は1806年三月でミントン窯との提携を解消し、同年七月に破産宣告となった。したがってもしファクトリーXがターナー窯であるとすれば、製品は1806年以前に製造されたことになる。

 ファクトリーZは、リヴァプールでハイブリッド・ハードペースト磁器を焼いていたトーマス・ウルフ窯か、トーマス・ウルフのビジネス・パートナーだったマイルズ・メイソンが、自分で窯を持った頃の初期作品かのどちらかの可能性が指摘されている。リヴァプールのウルフ窯は1800年に閉窯したので、それまで平行してファクトリーZを経営していたのか、あるいはその後スタッフォードシャー地方にやってきて作品を焼いたのかがわからない上、どちらもあまり現実的な見方ではない。それに比べると、レインデルフにあったジョージ・ウルフの陶器窯を買い取って窯業を始めたマイルズ・メイソン窯の作品と考える方が妥当なのだろうが、ファクトリーZとマイルズ・メイソン磁器では、その釉薬の質や磁胎の重さにあまりの隔たりがあり、現在まで「ファクトリーZ=マイルズ・メイソン」と特定できる証拠は見つかっていない。
 近年ではリヴァプールのトーマス・ウルフ窯(イズリントン・チャイナ・ワークス)跡地の発掘で、ニューホール窯と共通する絵柄の中国写しの作品が出土したこともあり、「ファクトリーZ=リヴァプールのウルフ窯」という見方が有力になっている。しかし決定的な証拠となる磁器片は見つかっていない。もしファクトリーZがトーマス・ウルフ窯であるとすれば、1796〜1800年という、ごく短期の間に製造されたということになる。

 このように、ニューホール窯と同じ絵柄で似通った造形の模造品が多く残されているのが現実なので、鑑賞する場合や購入する場合には注意が必要である。ファクトリーX、Y、Zとして製造者が特定できていない3グループの作品群の他に、ニューホール窯の模造品を作ったメーカーには、ミントン、チェンバレン、後期カーフレイ、初期コールポートなどがある。また1971年に初めてファクトリーX、Y、Zを指定したデイヴィッド・ホルゲイトによる「ニューホールのイミテイター」としての指定はないが、メイチン窯もニューホールの模造品を作った窯業者である。ニューホールと似た造形のリング・ハンドル付きビュート・シェイプのカップに、黄色の貝殻を大きく描いたメイチンの作品は、同様の造形と意匠のものがニューホールでもミントンでも作られている。

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