グレンジャー&Co.
1850〜60年
コーヒー・カップ:H=47mm、D=69mm/ソーサー:D=108mm
 磁胎は長石質のパリアンで、薄いクリーム色を呈している。パリアン胎は磁器彫像用に開発された素材で、微細な立体表現が可能なため、ソーサーは井戸周りが隆起したスタンド状で、鳥の羽毛状のレリーフがあり、カップにも装飾的なハンドルとペディスタルが取り付けられるなど、複雑な造型が施されている。
 絵付けには平坦なエナメル顔料と、盛り上がった厚みのあるエナメル顔料の二種類を使い分けており、エキゾティックな立花文が描かれている。
 同じ素材で製作されたグレンジャー社の作品が「アンティーク・カップ&ソウサー」p.112、165に掲載してあるので、ご参照いただきたい。
 




グレンジャー&リー
1825〜30年
ティー・カップ:H=53mm、D=103mm/ソーサー:D=147mm
 ロバート・チェンバレンの孫であるトーマス・グレンジャーは、はじめはチェンバレンズ・ウースターに絵付け師として雇われたが、1801年に独立してグレンジャー&ウッドとして製磁会社を設立した。この設立年に関しては、グレンジャー磁器の窯印に「1801年設立(ESTABLISHED 1801)」の文言があるため、長く1801年創業とされてきたが、最近の研究により、会社設立には地元ウースター市の公民権を取得する必要があり、トーマス・グレンジャーがウースターの市民権を得たのが1805年9月であるということから、グレンジャー&ウッド設立は1805年以降とする説が有力になっている。また1801年当時は、トーマス・グレンジャーがまだ十八歳だったこと、会社に残された最初の磁器製品販売の記録が1807年9月であることなどからも、グレンジャーの創業は1805年頃と考えるのが妥当である。1801年はチェンバレンズ・ウースター(当時の経営者はロバート・チェンバレンの息子ハンフリー。トーマス・グレンジャーの伯父にあたる)からの独立年で、それを窯印に記したとみられる。
 グレンジャー&ウッドは1812年まで続き、主にチェンバレンズ・ウースターなどから白磁を買い、それに絵付けする仕事をしていた。したがって初期グレンジャーとチェンバレンの作品を判別するのは難しい。製品はロンドンの有力磁器商人ジョン・モートロックによって小売りされた。
 1812年には新たな出資者を得て、グレンジャー&リーとなり、このときに得た資金でウースターに新工場を建設した。これ以降グレンジャー社は「ニュー・チャイナ・ワークス」と称するようになった。初期の磁胎はハイブリッド・ハード・ペースト(擬似硬質磁器)であった。
 その後トーマス・グレンジャーは1839年に没し、会社は息子のジョージ・グレンジャーが引き継いで、グレンジャー&Co. となった。ジョージの時代には優れたアーザン・ウエアを開発し、これを「セミ・ポーセリン」と命名して1851年のロンドン大万博で発表した。1862年の万博では透かし彫りを施したパリアン磁器製の花瓶や食器を発表し、以後これらはグレンジャー社の高額看板商品となった。
 1889年、グレンジャー社はロイヤル・ウースター社の傘下に入ったが、同社のマネジメントのもとで「ロイヤル・チャイナ・ワークス」と称して、グレンジャー工場は経営を続けた。1902年になって正式に工場を廃し、ロイヤル・ウースター社に統合合併した。

 さて今回は「グレンジャー&リー」の時代に製造された作品を紹介する。
 蔓草文様の複雑な金彩で縁どられた白抜き地の中に多種の花束とメインの花、補助的な花が描かれた、様式混在的で不統一な意匠である。これはジョージ四世様式の典型的な一面を表しており、この時代の食器装飾のあり方を知るには好適な作品といえる。
 カップ、ソーサーともに緩やかな口縁の隆起を伴う造型で、凝ったデザインのハンドルが取り付けられている。明るく軽いブルー地には蔓草と意味不明の白抜き花が金彩であしらわれ、カップには多種の花束から二本の大きな三色菫の花が伸び、ソーサーでは同じく多種の花束からひときわ大きなチューリップが飛び出している。
 磁胎はボーンチャイナで、表面は細かい貫入のヒビで覆われている。また本品にはコーヒー・カップが伴っており、トリオのセットになっている。
 

 

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