コープランド
1853年頃 1851年以降使用されたコープランド社の通常の窯印
コーヒー・カップ:H=73mm、D=65mm/ソーサー:D=136mm
 コープランド社の前身は、スタッフォードシャー窯業群の筆頭企業スポード社である。1827年にジョサイア・スポード二世が亡くなると、会社は息子のジョサイア・スポード三世に引き継がれたが、ジョサイア三世は二年後の1829年に急逝してしまった。
 その四年後の1833年に、ジョイサイア三世の遺産管財人・遺言執行人からスポード社を購入したのが、ウィリアム・テイラー・コープランドである。
 ウィリアム・テイラー・コープランドはロンドン市議会議員となり、後にロンドン市長に就任した人物である。彼の父ウィリアム・コープランドは、1795年頃からスポード社のビジネス・パートナーを務めており、有り余る資産の利殖先として、スポード社への投資を選んだのであった。スポードの工場は四万五千平米(約十一エーカー)、従業員は一千人の大企業だった。ウィリアム・テイラー・コープランドは、スポード社で営業セールス部門のトップを務めていたトーマス・ギャレットを株主に迎え、社名を「コープランド&ギャレット」として経営をスタートした。
 この間、製品の芸術性はおおむねスポード時代のスタイルを踏襲したが、カップ&ソーサーの造形デザインには大幅な変更と新デザインが追加された。これらの食器は合理的な考え方で作られ、三種類のカップに三種類のハンドルを付け替えた、計九種類の造形バリエーションに、エンボス装飾の有無によって、十八通りの意匠を得るというものであった。
 またコープランド&ギャレット期の重要な出来事の一つに、パリアン・ウエアの開発がある。これは可塑性に富んだ彫刻用の素材で、大理石のような質感を持つ。大抵は釉薬なしで、ビスケット焼き状態で仕上げられた。
 1847年にトーマス・ギャレットが引退すると、社名は「W.T.コープランド、レイト・スポード」となって 1867年にウィリアム・テイラー・コープランドの息子達が参入してくるまで続いた。

 本品はギャレット引退後に単独経営となったコープランド社が、1853年頃に意匠登録し、1858年頃迄の五年間に製作した、チェルシー写しのカップ&ソーサーである。
 1851年に開催されたロンドン大万博で、金賞、銀賞ともに逃した英国窯業陣を見て、大陸磁器窯と国内窯業との大きな技術的差異に驚いたヴィクトリア女王は、大陸工芸の脅威を払拭するために、1852年、ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムを建設し、シュライバー夫妻の寄贈品を中心に、王室コレクションの一部などを一般公開して、職人達の手本とした。
 コープランド社ではこの機会に乗じて、18世紀の名窯の完全コピー品をいち早く商品化する作戦に乗り出し、次々に古窯の磁器デザインを意匠登録した。本品はそのうちの一つである。地色、花絵、カップとハンドルの形状までそっくりに写されたこの作品の元は、1760年頃にロンドンのチェルシー窯で作られたカップ&ソーサーである。
 もしお手元に、マイケル・バーソード著の「英国製カップの概要(ア・カンペンディアム・オブ・ブリティッシュ・カップス)」という書籍があれば、それを参考に御覧いただければ面白いと思う。
 まず上記の書籍の写真6にチェルシーが写っている。この作品にはカラー版の掲載もあるので、そちらを参照してみると、コープランド社の巧妙なコピー技術が見てとれる。ハンドルの形状は実に精巧に造形されており、カップの形は違うが、本品と全く同じ、細身でストレートなチェルシー製コーヒー・カップも残されている。カラー版では黄色が大分薄くなって見えるが、これは黄色顔料の経年変化によるもので、今後もますます色は消え飛んでゆくものと思われる。一方本品には、濃く強い黄色の地色が施されている。これは1853年当時、製造されてからまだ百年を経ていないチェルシー窯の製品が、このような黄色を呈していたことを示している。チェルシーの製造当初の姿を伝えているという意味では、このようなコピー作品にも意義がある。花絵も写真6と同様の赤紫色の花に緑色の葉が描かれている。
 ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムに始まるコピー・ブームの作品としては、同「英国製カップの概要」の写真1220に、コープランド社が本品と共に製作した一連のシリーズの中の一点が写っている。こちらもチェルシーの完全コピーである。さらに写真1219には、カー&ビンズ、ウースターがやはり1853年頃に製作したセーヴルのコピーが写っている。また写真1142には、1853年頃にミントンが製作したセーヴルの完全コピー品が写っている。
 その他、「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」 p.182下に、コープランド社が作ったセーヴルのコピー品、 p.183にミントンが作ったセーヴルのコピー品(元の形状のセーヴルは「アンティーク・カップ&ソウサー」p.21)、カー&ビンズ、ウースターが作ったセーヴルのコピー品が「アンティーク・カップ&ソウサー」 p.120、「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.47(セーヴルの真正品がp.46)に掲載してあるので、ご参照いただきたい。
 こうしてみると、1852年のヴィクトリア&アルバート・ミュージアム開館直後から、各社はこぞって18世紀の名窯作品のコピー商法を取り入れ、1853年以降は古磁器の模倣作が一気に市場に供給され、コピー文化が急速に広まっていったことがわかる。この現象を、これまで一般に目にすることがなかった昔の芸術作品に触れて、職人魂を刺激された、という好意的解釈に結び付けるのは難しい。当時の工芸界に蔓延していた気質により、誤った方向性を選択したと見るべきである。こうした動きは大陸においては、より悪辣な贋造活動へと進展し、意匠デザインのみならず窯印までコピーした贋作品が市場で幅をきかせることになっていった。→資料室
 

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