ジェイムズ&ラルフ・クルーズ
1821〜1825年
ティー・カップ:H=53mm、D=100mm/ソーサー:D=153mm
 クルーズ窯はコブリッジにあったウィリアム・アダムズの陶器工場を借りて、1817年にジェイムズ・クルーズとラルフ・クルーズによって始められた。スタッフォードシャー窯業群に属し、コブリッジ・ワークスと称した。
 磁器作品は1821年から1825年までの四年間しか製造しておらず、それ以外の時期に作られた製品の主体はアーザンウエアだった。1834〜35年には倒産して、クルーズ窯は窯業界から消えてしまった。
 本品は口縁が開いたエンパイア・シェイプのカップで、ハイ・ループ・ハンドルが湾曲してカップの内側まで傾いているのが特徴である。ソーサーは中央に窪みが作られ、セーヴル窯製品を模倣した平板な外縁を持つデザインになっている。
 濃い赤紫色の地色の上には、桜の花びら格子の金彩文様が施されている。白抜きで塗り残されたパネル内には、赤い実を付けたインド風の生命樹、草と葉、小さい鳥が描かれている。このような木と赤い実のパターンは、1800〜10年代のミントン窯などでも描かれていた。
 ソーサー中央部とカップ見込みには、1817年頃のナントガーウ窯で描かれ、1820年頃からコールポート窯に受け継がれたスタイルを模倣した薔薇絵があしらわれている。このようにナントガーウ=コールポートの薔薇絵は、同時代の他窯の磁器作品に大きな影響を及ぼしている。
 






 
ジェイムズ&ラルフ・クルーズ
1821〜25年
コーヒー・カップ:H=64mm、D=77mm/ソーサー:D=149mm
 エンパイア・シェイプのコーヒー・カップで、ハイ・ループ・ハンドルの上端部が巻いて口縁に接合するタイプになっている。ハンドル終端部には、曖昧で稚拙な造形ながらも、扇状に開いた羽飾りのデザインが見られる。この点では「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.70に掲載してあるコールポート(ヒックス&メイ型)に共通する意匠のカップであるといえる。
 口縁の内側には、濃い染付とクリーム色の四角いパネルが描かれている。金彩には複雑な要素が盛り込まれており、鍵の手型の雷文、唐草文、星文、蛇の目文が描かれている。
 「英国製カップの概要(ア・カンペンディアム・オヴ・ブリティッシュ・カップス)」の著作をはじめとする、英国磁器学界の碩学マイケル・バーソードをして「嘗て磁器上に描かれた最も特異なパターンのうちの一つ」と言わしめたこの図柄は、1815年頃から1840年代までの長きにわたり、英国各窯のティー、コーヒー・ウエアに描かれ続けた。デザインが複雑で手が込んでいる反面、洗練されていないこの意匠が、19世紀前半のイギリスでなぜ人気を博したのかは謎である。
 本ホームページのオールコックのページに、1830年代にオールコック社が製作したこのパターンのカップ&ソーサーが掲載されている。カップの外側全体に、複雑で多要素な図柄が巡らされているが、オールコックが作ったこれらの製品は、このパターンの復刻品に該当する。クルーズ製である本品は、このデザインがイギリスに現れた初期の頃に製作され、オールコックで描かれていたものと同時代の作品ではない。
 また、このパターンは他の意匠に比べてコスト高だったと言われ、その原因の一つには色絵付けがある。
 このデザインには必ず、カップ見込みとソーサー中央部に、カラフルな色絵が描かれるのがならわしで、本品ソーサーには赤い上着、ピンクのマント、青のスカート、黄色の荷物、白の前掛け、茶色の帽子といった配色で、緑の野原に立つ農民の姿が描かれている。カップには、籠の中に芋らしき収穫物を山盛りにした作業風景が描かれている。色の博覧会のようなこの描き方は、着彩版画を模写したスタイルで、独特な派手でしつこい色遣いも決して異例のことではなく、当時はこのような印刷画集が広く販売されていたのである。
 本品のパターンに用いられた色絵のお決まりのテーマとしては、英国で名高い奇人ドクター・シンタックスの奇行集、ドン・キホーテから採られたモティーフ集、農民(クエーカー教徒の姿とみられる)の三種類がある。特にこれらのテーマを専門に描いたのがクルーズ窯であり、その他の窯では主に花絵が描かれた。すなわちクルーズ窯では、いずれも人物画が用いられたわけであり、風景画や鳥絵などは描かれていないと考えられる。どのモティーフも相当の多色遣いで仕上げられるため、絵の上手い下手は別として、大変華やかな画面になっている。
 クルーズ窯の特徴であるこれらの画題について、前述のマイケル・バーソードは、サー・デイヴィッド・ウィルキー(1785〜1841/画家)の風俗画や、ウィリアム・クーパー(1731〜1800/詩人)の著書の挿絵からの引用、としているが、筆者はこれに加えてトーマス・ローランドソン(1756〜1827/画家)の版画集からの引用を指摘しておく。
 ローランドソンは印刷頒布用の様々な風俗画を描いたが、特に1812年に発行した副題「ピクチャレスクを求めての旅」と、1820年発行の副題「慰めを求めての旅」という、ドクター・シンタックスを主人公とする二つのパロディー画集『シンタックス博士の漫遊記、ロンドンへの旅(ウィリアム・クーム文章)』は、彼の生涯で空前のヒット作となり、イギリス中にセンセーションを巻き起こした。ローランドソンは農民やクエーカー教徒を主題とした風俗画も描いており、このパターンはこれらの作品からの影響も受けていると考えられる。
 クルーズ窯製の磁器作品については、まだまだ謎の部分が多いので、今後のクルーズ製品の新発見と研究の進歩に期待したい。
 



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