ダービー、ロバート・ブルーア期
1820〜25年 朱色のエナメルで王冠と交差するバトン、左右に三つずつの点、Dの窯印
コーヒー・カップ:H=62mm、D=68mm/ソーサー:D=136mm
 本品に用いられたデザインは、高名な花絵付け師モーゼス・ウェブスターが中心となって1815年頃に製作された「トロッター・サーヴィス」に由来する。「トロッター・サーヴィス」とは、サー・ジョン・トロッターの注文による多種の花を描いた食器セットのことで、本品はオリジナルのセットが完成した後に、同じデザインで一般向きに販売されたコーヒー・キャンである。これら一連の製品群に用いられた意匠を「サー・ジョン・トロッターのパターン」と呼ぶ。
 「サー・ジョン・トロッターのパターン」は、オリジナルのセットでは皿の中央に複数の花によるブーケが描かれており、一般向けにはこれを簡素化した一輪描きの花絵が用いられた。また「サー・ジョン・トロッターのパターン」では、食器のモールド自体が図柄に合わせて立体的なエンボス(レリーフ)に仕上げられており、この素磁はこのパターンの絵付けにしか使えないという制限がある。それでも、本品の花絵が描かれている部分に風景画をあしらい、アップル・グリーン地の部分を白地として、そこに花絵を描いた柄違いの作品も存在する。
 印象的な緑の地色は、クローム・グリーンの顔料で着彩されている。このクローム顔料は、同時期1810年代のマイセン窯でも改良され、これを釉薬下に用いて緑色の染付とし、葡萄の葉を描いた食器が量産された。ダービーではこれを釉薬上に用いたが、鮮やかな発色と滑らかな融着には技術を要したようで、本品でもソーサーの緑地はやや粉っぽく、マット状に傾いている。
 「サー・ジョン・トロッターのパターン」では多くの場合、このクローム・グリーンによる緑地が用いられているが、これにはユニークな仕掛けによる理由がある。緑地が形作るシルエットをよく見てみると、そこには林檎の姿が見えてくるはずだ。ダービー窯では緑一色で地塗りする一見面白くないデザインを林檎の形にすることにより、アップル・グリーンを使用する意味付けがはっきりと判るように工夫しているのである。林檎である以上、赤や黄色でもよいのだが、本品がセーヴル窯を模したフランス風のデザインであるため、セーブル窯の「ヴェール・ポム(青林檎色)」に似せた色遣いの方が、より大陸風に感じられたということになる。
 花はキャンとソーサーで合計七面・六種類(薔薇が二つのため)で、マイセンのJシェイプ・ハンドル(ドレスデン・ハンドル)を模した「ウィッシュボーン・ハンドル」が取り付けられている。
 





 
ダービー、ロバート・ブルーア期
1825〜35年 オレンジ色の転写で二重圏線に王冠とBLOOR DERBYの窯印
コーヒー・カップ:H=68mm、D=72mm/ソーサー:D=140mm
 本品に見られる幾何学的な図柄は、1799年頃にミントン窯(第一期)でデザインされたものを模して描かれている。濃い赤で連続的な曲線を交互に組み合わせ、間に濃い青と黒のドットが並べられている。金彩では三点ドットが色絵の曲線を繋ぎ、口縁にはスケール(鳥の羽毛もしくは鱗)文様のバンドが巡らされ、カップの茶溜りとソーサーの井戸にはロータス(蓮の花)文様があしらわれている。色絵、金彩ともに全て手描きであるが、図線は機械的な正確さで仕上がられ、熟練の手仕事と華やかな装飾に目を奪われる作品である。
 本品が製作された1825〜30年代は、ミントン窯がボーンチャイナ製造を再開した時期に当たり(ミントン第一期1799〜1816、第二期1824〜)、第一期の旧パターンは復刻されなかったと見られるので、ダービー窯のこの文様は、図柄が廃絶して三十年ほどが経過したミントン窯の作品をコピーしたデザインといえる。ミントン窯の旧作品には、口縁の金彩文様が本品と異なる点を除き、ダービー窯とほとんど変わらない高品質の絵付けが施されている。
 本品の材質は、白く滑らかな釉薬を用いた上等の白磁で、1825〜35年に流行したリージェント・ハンドルが取り付けられている。
 







 
ダービー、ロバート・ブルーア期
1825〜40年 オレンジ色の転写で二重圏線に王冠とBLOOR DERBY(カップ)、王冠とD(ソーサー)の窯印
果実絵:トーマス・スティール、もしくはジョン・ハンコック・ジュニア
ティー・カップ:H=53mm、D=90mm/ソーサー:D=150mm
 本品のカップには桃と洋梨を中心とする八種類の果物が描かれ、下には褐色の影が付けられている。ソーサーには桃や無花果、オレンジなどが小さくまとめて二か所に描かれている。
 金彩は、果物絵の枠がロココ風の複雑な葉文スクロールで、白抜き枠の左右を花のフェストゥーンが繋いでいる。その先から文様は一変して、イタリア風の線スクロールと細長い白抜き八角形内に柔らかい花綱の色絵が描かれたフリーズ(帯状装飾)を組み合わせた構成となる。このフリーズの白地には、金彩のドット散らしが施されている。これは金砂子(サブレ・ドール)とは違う「図形金彩」で、本品では四点ドットになっている。花綱のフリーズは、カップではハンドルの下をくぐって約11cmもの長さに展開している。またカップ口縁内周ばかりでなく、ソーサー裏の外周にもパリ風の金彩文様が施されており、本品が高級品として企画されたことを示している。

 本品に描かれたフルーツ絵については、トーマス・スティールの筆になるか、ジョン・ハンコック・ジュニアの筆になるかについての疑問がある。
 トーマス・スティール(1772〜1850)は19世紀前半のイギリスで活躍した高名な絵付け師で、果実絵と花絵を得意とした。特にフルーツを描かせたら同時代の英国では並ぶ者がないと賞され、果実静物絵付けの頂点を極めた一人として確固たる地位を占めているアーティストである。
 スティールはスタッフォードシャー州の生まれで、同地の窯場で修業を積んだ。所属した窯業者はわかっていない。彼の名前と作品が知られるようになるのは、1815年に四十歳代でダービー窯に雇われて以降である。
 ダービー窯は1811年にロバート・ブルーアに買収され、1815年前後は絵付け部門の品質向上の目的で、英国各地から優秀な絵付け師を積極的に窯に雇い入れていた時期だった。ブルーア期のスタート時点である1811〜15年にかけては、花絵のウィリアム・ペッグ“ザ・クエーカー”(再雇用)やモーゼス・ウェブスター、果実絵や羽絵の名手ジョゼフ・バンクロフト(「アンティーク・カップ&ソウサー」表紙に掲載したカップの装飾は、ミントン窯に移籍後にバンクロフトが描いた羽絵である)、鳥絵を得意としたリチャード・ダドソンなどが新規に入窯し、スティールもこれらの人々とともにダービー窯に招かれたのだった。
 最高品質を謳われたスティールの果実絵は、パリのナスト窯の様式に基づいている。ナスト窯は1783年に開窯し、フランス革命による混乱期を乗り切って、1810年代にはフランス随一の名窯という評価を勝ち取っていた。
 ルーヴル美術館のインターネット・サイト(日本語あり)によれば、セーヴル製陶所の所長アレクサンドル・ブロンニャールは、セーヴル窯に匹敵するナスト窯の完成度に頭を痛めていたという。そして高さ70センチを越える壺をナスト兄弟が全て磁器で製作すると「怒り狂い」、それを国王ルイ十八世が購入したのを見て「憤慨」した、という逸話を『ブロンニャールの激怒』というタイトルで紹介している。1815〜25年のセーヴル窯では、ナスト窯に比べて造形技術が遅れており、台座や把手に金メッキしたブロンズを使用しないと、背の高い大型壺を作ることができなかったのである。またナスト窯は造形と同様に、絵付け・金彩の面でもセーヴル窯の技術水準を凌いでおり、手本とするにはこれ以上を望めない、まさにフランス最高の磁器メーカーだった。
 ナスト窯の流儀を範としたトーマス・スティールのフランス風フルーツ絵には、いくつかの特徴がある。
 強く明るい色合いを好んだスティールは、透明エナメル顔料を塗り重ねていく手法を用い、画面は油絵のように一部が盛り上がっている。厚く重ねられた顔料は、ペンキが欠片になるようにヒビ割れて剥落する場合もあるほどである。このような顔料を練るためには筆では腰が弱いので篦などを使うが、スティールは指で顔料を練り混ぜたと伝えられている。
 組み合わせた果実同士の境界色や影の色はお互いに影響し合い、また果実表面の質感を表現するために、ブラシを立ててはたいたり、スエードのように毛羽立った柔らかい皮を用いて、細かいドットのような隆起を施したりしている。これは特に桃の立体感(ウブ毛による質感)を出すのに極めて効果的な手法となっている。
 緩やかな段差を伴う本品のカップの形状は「リージェント・シェイプ」という。、ハンドルは「リージェント・ハンドル」と呼ばれ、下辺にキックがあり、外向きの大小二つのループによって構成される。従来この形状のカップ&ソーサーは1836〜45年の製造とされてきた。スティールはダービー窯を1820年代後半に辞去し、その後 H.&R.ダニエル窯、ロッキンガム窯、ダヴェンポート窯を渡り歩いた末、 1831年3月にはミントン窯に雇われているため、事実と年代が合わない。したがって、この絵付けをスティールの筆によるものとするならば、本品をはじめとする一連のダービー窯製リージェント・シェイプの作品は、1825〜30年の製造とするのが妥当である。その反面、この形状のカップ&ソーサーを従来の定義通り1836年以降の製造とする立場からすれば、本品をスティールの作品とすることには疑問が生じる。
 一方、ジョン・ハンコック・ジュニア(1804〜40)は、絵付け師で顔料開発者のジョン・ハンコック(息子と同名)の次男として生まれた。彼はセーヴル窯風の鳥絵や、花絵、果実絵を得意とし、1820〜30年代のダービー窯で活躍した。
 本品のカップとソーサーでは、果実のヘタ部分の描き方、桃の赤味の描き方、影の描き方に相違がある。カップの果実のヘタ周囲と桃の赤味の部分にある描法は、ジョン・ハンコック・ジュニアの技法との共通性が伺える。またソーサーではヘタの穴を一段濃い色で描くことや、大胆なハイライトと微細な筆遣いを見ると、スティールの技法との共通性が伺える。
 しかし筆者が前述した「ジョン・ハンコック・ジュニアの技法との共通性」というのも、1879年という昔にジョン・ハスレムが編纂したカタログ(磁器作品集)の中で、「ジョン・ハンコック・ジュニア筆」とされている作品が判断の根拠となっている。このカタログ採録作品が本当にジョン・ハンコック・ジュニアの絵付けなのかどうかという点を含め、本品を製作した絵付け師の特定は一層の困難を伴うものとなっている。





 
ダービー、ロバート・ブルーア期
1815〜20年 朱色のエナメルで王冠と交差するバトン、左右に三つずつの点、Dの窯印
ティー・カップ:H=56mm、D=89mm/ソーサー:D=144mm
 本品に見られる金彩の文様は、ダービー窯のテーブル・ウエア作品に頻繁に用いられた装飾図柄で、同窯では伝統的に「アラベスクのボーダー」と称されている。
 「アラベスク」の原義は「アラビア風の」という意味で、一般にはイスラム由来の文様をさす。イスラム文様では、モスクなど宗教建築物の内装モザイクに代表される幾何学文様や文字文様がよく知られるが、本品は植物を組み合わせたスクロール文様で、アラビアの絨緞や染織に多く見られる図柄に基づいている。このようなスクロール文様も、アラベスク柄の一形式である。
 ダービー窯では、本品と類似した金彩文様を、いくつものヴァリエーションで描いた。図柄の主体となる「大きなスクロール、丸点(イスラム文様における星文)」という概念を維持し、スクロールの起点となる丸点の周囲に位置するアカンサス風の葉扇文様と、空間を埋める小花文様に変化を加えている。本品では繊細な筆で釣鐘草や歯朶など、四種類の小花文様が描かれている。この金彩を仕上げた職人はジョン・モスクロップで、カップ、ソーサーともに本人を特定できる金彩師番号「18」の記入がある。
 地色については、本品のような紺色のほかにも様々な色での作例があり、白磁のまま着色していない製品もある。地色一色に金彩のみという作品は、ニューホール窯など一部のメーカーでは、多色の色絵付けを施した作品より数倍も高価な値段で販売していた実例もあるが、もともと優秀な色絵付け師が活躍していたダービー窯では、このような金彩のみの図柄が価格において風景画、果実絵、鳥絵、花絵などを上まわることはなく、結果的に本品と共通のアラベスク図柄は、これらの優れた色絵の周囲を彩る枠装飾として扱われた。上等なティー・セットやディナー・サーヴィス、デザート・サーヴィスでは、本品のソーサーに見られる白抜きの円形部分に、風景や花などが描き入れられている。
 形状はポリンジャー・シェイプで、ダービー窯ではこの形状のティー・カップに対しては筒形のキャン(カン)・シェイプのコーヒー碗を組み合わせている(「アンティーク・カップ&ソウサー」 p.54、55、237参照)。
 ハンドルは鳥の胸にある二股の骨に似ることから、「ウィッシュボーン・ハンドル」と呼ばれている。この骨は、鳥の丸焼きなどを食した後、客同士で骨の左右を引っ張り、二本に折れたうちの長い部分を手にした人には望み(wish)が叶えられるという言い伝えによる遊びがあることから、「ウィッシュボーン」あるいは「メリーソート(merrythought:楽しい予測)」として親しまれている。しかしこのハンドルのデザインはマイセン窯に由来するもので、分類としては「ドレスデン・ハンドル(Jシェイプ・ハンドル)」に属する。したがって「ウィッシュボーン・ハンドル」とは、英国人の見立てによる俗称を、ダービー窯が使用した呼称である。本HP「美術館」マイセンのページと、「コラム」2番に、このハンドルのオリジナルとなるマイセン窯の作品が掲載されているので、ご参照いただきたい。
 






 
ダービー、ロバート・ブルーア期
1810〜15年 朱色のエナメルで王冠と交差するバトン、左右に三つずつの点、Dの窯印
ティー・カップ:H=53mm、D=83mm/ソーサー:D=143mm(矢車菊)
ティー・カップ:H=53mm、D=87mm/ソーサー:D=143mm(カーネーション)
 ここに掲載した二作品は、共にロバート・ブルーア期の初頭に製作されたティー・カップである。カップの下部に段差が作られた形状に、溝のあるスクエア・ハンドルが付いている。このハンドルは「フレンチ・ハンドル」とも呼ばれる。
 同一形状の二点だが、焼き物の品質は全く異なる。フランス由来の矢車菊文様(アングレーム・パターン)の作品は、滑らかで艶のある白い釉薬でしっかりと覆われ、釉表にはヒビが見られない。白磁の色は青みがかっており、弾くと硬い金属音がする。使っても茶渋は付かない。
 カーネーション文様の方は、釉薬が透明なガラス質で、全体が細かいヒビに覆われている。白磁の色は薄茶色がかっており、弾いても金属音は出ない。そして一度使うと大変頑固な茶渋がついてしまう。
 両方ともソーサーの同じ位置によく似た灰降りがあるので、共通の焼き方で作られたと考えられるが、磁器の品質からして材料の配合が違うことは明らかで、この二点は完全に別の種類の焼き物に分類しなければならない。

 矢車菊文様はアングレーム公爵の工房=ディール&ゲラールでデザインされ、後にルイ十六世妃マリー・アントワネットに愛されたことで有名となり、セーヴル窯のほか、パリやリモージュの窯業群でさかんに描かれた。英国の窯業者もこの図柄の強い影響を受けた作品を製造している。本品では矢車菊と金彩の葉が交互に散らされている。
 カーネーションと通称される文様は、流れるように優美な曲線の中に描かれ、色絵と金彩が融合したフランス好みのデザインである。花びらは写真では一色のように見えるが、濃い赤色と濃いピンク色の二色の花が交互に描かれている。ハンドルにも金彩で繊細な葉文様があしらわれている。
 





 
ダービー、ロバート・ブルーア期
1811〜15年 オレンジで王冠と周囲の円内にBLOOR DERBYの窯印
ティー・カップ:H=45mm、D=91mm/ソーサー:D=130mm
 逆台形の「前期バケット・シェイプ」で、溝のあるスクエア・ハンドル(フレンチ・ハンドル)が取り付けられている。やや青灰色を帯びた白磁で、釉薬にはヒビがない。澄んだ硬い金属音がするため、ハイブリッド・ハード・ペースト・タイプ(擬似硬質磁器)の雰囲気を持っている。
 図柄は明朝萬歴年間に作られた赤絵の磁器と、それらを模した伊万里焼の写しになっている。蓮弁型で八分割された芙蓉手の区画には、岩(太湖石)に牡丹文と、梅文が描かれている。岩には青のエナメルが用いられ、梅文の地色は萬歴磁器や伊万里焼きに共通して見られる黒斑入りの緑地で仕上げられている。そのほか花弁が太い菊花文や、雷文、黒地など、東洋磁器の特徴を掴みながらも、大変ユニークなデザインになっている。
 




 
ダービー、ロバート・ブルーア期
1815〜1820年 朱色のエナメルで王冠と交差するバトン、左右に三つずつの点、Dの窯印
ティー・カップ:H=55mm、D=90mm/ソーサー:D=143mm
 ロンドン・シェイプは19世紀前半のイギリス製ティー・ウエアを代表する形状である。このシェイプは1812年頃に、スポードとチェンバレンズ・ウースターで最初にデザインされたとみられる。チェンバレンでは当時この形状を「グレシアン・シェイプ(ギリシア風のシェイプ)」と名付けたため、ロンドン・シェイプは別名グレシアン・シェイプとも呼ばれる。
 このシェイプの源流となるカップの形状は1800〜1810年代のフランスにあるが、ロンドン・シェイプはフランスの形状をそっくり真似した同時代のエンパイア・シェイプやパリ・フルートなどとは異なり、イギリスの独自色が強い。他と比べて相対的に、イギリスをオリジナルとする形状と評価してよい。
 ロンドン・シェイプより以前にイギリスで全盛だったのは、ビュート・シェイプとキャン・シェイプである。これらはビュート・シェイプをティー・カップとして、キャン・シェイプをコーヒー・カップとして使用していたと一般的に考えられている。ソーサー一枚とカップ二客で販売された、こうした「トリオのセット」の形式では、1800〜1810年においては異なる形状のカップ二客(ビュートとキャン)が組み合わされるのが通例であった。
 しかしビュート・シェイプとコーヒー・キャンの容量はほぼ同じに設計されていたため、キャン・シェイプも紅茶用に使うことができたという説が現実味を帯びてくる。ビュート・シェイプにはコーヒー・カップがなく、キャン・シェイプにはティー・カップがないものだ、という先入観を取り去って考えれば、もともとこの二つは兼用であり、コーヒー、紅茶の区別なく使用されていたと解釈してもよいわけである。必要ならば細長くて小さいビュート・シェイプのコーヒー・カップを製造すれば済んだことなので、そうした作例がないという歴史的事実の解説には、新たな切り口で臨む必要があると思う。
 したがって、ロンドン・シェイプの登場によって決定的に変化したティー・ウエアの姿として、第一にコーヒー用、紅茶用の区別が明確化されたということがあげられる。紅茶は大容量で飲み、コーヒーは小容量で飲むという常識が定着していったと言い換えることもできる。
 第二に同じ形状のカップを大小二個セットしたトリオのセットが一般化したということである。ビュートとキャンだった組み合わせから、大きく広いロンドン・シェイプと小さく細長いロンドン・シェイプの二客というスタイルが通例となっていった。1810年代初期の頃には、ロンドン・シェイプのティー・カップにロンドン・ハンドルをつけたコーヒー・キャンがセットされた作例もあり、過渡期の試行錯誤を示している。このような珍しい組み合わせは、ブルーア期のダービー窯の作品でも見ることができる。
 ちなみにトリオのセットは18世紀にも一般的に存在し、プレーンなカップやヴァーティカル・フルート、シャンク(ひねり)などのデザインで作られていた。これらは二つのカップの装飾デサインは同じで、背が低いか高いか(平たいか細長いか)で区別されていた。しかし二種類のカップの容量をはかってみると、見た目による違いは錯覚で、やはりほぼ同じ容量で作られていることがわかる。つまりロンドン・シェイプにおける「同じ形状の大・小容量のカップ」という考え方は、それ以前の食器デザインとは異なっているということになる。
 本品は、ペール・オレンジ(肌色)の地色にルネサンス風の古典的文様が描かれた、ロンドン・シェイプのティー・カップで、ロバート・ブルーアに買収されて経営権が移った後のダービー窯で製造された作品である。金彩で描かれた四種類の複雑な葉文様を中心に、スクロール・エンドには緑色の葉文様を置き、灰色の炎(煙)をあげるトーチが赤紫色で描かれている。
 金彩の占める比率が高い連続文様で、副次的に色絵が点じられるこのようなスタイルは、1800年代初頭のロンドンで流行したフランス由来の磁器装飾様式である。
 






 
ダービー、ロバート・ブルーア期
1815〜20年 朱色のエナメルで王冠と交差するバトン、左右に三つずつの点、Dの窯印
ティー・カップ:H=56mm、D=90mm/ソーサー:D=142mm
 豪華で緻密な金彩文様を中心とした装飾が施されたロンドン・シェイプのティー・カップである。金彩では二種類の羽文様、二種類の葉文様、スイカズラ(忍冬)、点文、線条文が描かれ、アカンサスのように見える二種類の大きな羽文様のうちの片方は、立体的に見えるような描き方をしている。色絵では鮮やかなブルーに金彩の枠取りでメアンダー・スクロールが巡らされ、紫と朱による花文様があしらわれている。
 このように金彩が図柄の主体となり、要所に色絵が用いられるスタイルは、19世紀前半のロンドンなどで好まれたフランス趣味の装飾様式である。
 



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