サミュエル・オールコック
1830〜40年
ティー・カップ:H=49mm、D=103mm/ソーサー:D=150mm

 本品は透明な釉薬をかけたボーンチャイナで作られ、カップ外側に二筋ずつの縦の隆起線を五か所施した造形が特徴である。ハンドルはS字を三つ組み合わせたユニークな形状をしており、このハンドルは通例「スクエア・ハンドル」と称される。
 「アンティーク・カップ&ソウサー」p.58、59に掲載されているような形状のハンドルを、便宜上「スクエア・ハンドル」と呼んでいるが、これらは同著 p.237にも書かれているように「フレンチ・ハンドル」という呼び名でも分類される。オールコックではフレンチタイプのスクエア・ハンドルはおそらく製造していないとみられるので、類例が少ない本品の形状は「オールコックタイプのスクエア・ハンドル」と呼ぶのがふさわしい。
 カップとソーサーには金彩とワインレッドで縁どられた余白の中央に、抑えた色調の風景画が描かれている。カップには川にかかる板作りの木橋と、対岸の城塞が描かれ、ソーサーには水面に影を映す石橋と、その向こうに民家が描かれている。いずれも画面終端部の構成感を、樹木の曲線によって補っている。

 




 
サミュエル・オールコック
1828〜35年
ティー・カップ:H=55mm、D=92mm/ソーサー:D=143mm

 オールコックは1828年にコブリッジで創業したメーカーで、1830年にはコブリッジ工場に平行してバーズレムにも新工場を建設した。スタッフォードシャー窯業群に属し、「ヒル・ポタリー」と称した。
 二つの工場に四百人もの労働者を抱える大企業だったオールコックは、テーブルウエアだけでなく、多岐にわたる磁器製品を作ったが、シェイプやパターンナンバー、顔料や図柄などから「オールコック製」と鑑定されるようになってきたのは近年のことで、第二次大戦以前にはほとんど認識されていなかった。従来オールコックの製品は、その豪華さと色絵の美しさから、コールポートやロッキンガムなどといった美術品クラスのメーカーと混同されてきており、実際にアンピール様式のパリ窯風水差しや、コールポートが得意としたマイセン風の立体花付き飾壺、セーヴル風の鳥絵が描かれた立体花付き手籠などを見ると、ロンドンの一流絵付け工房にひけを取らない技術力を備えていたことがよくわかる。ティーウエアもロココ風のデザインのものは、今日なお「ロッキンガム製」と表記されていることがままある。これらの優れた加飾を行っていた絵付け師は、職人全体の10%強の人数を占めており、時期にもよるが、その三分の二は女性絵師だった。
 オールコックの素磁は主にボーンチャイナで、そのほか「ホワイト・グラニット(白花崗岩)・ウエア」と呼ばれるストーン・チャイナや、品質の高いパリアン磁器も多数製造したので、製磁技術的にはスポード・タイプのメーカーに属する。特にボーンチャイナは滑らかな白い釉薬に覆われ、大変美しい仕上がりをみせている。
 1849年に創業者のサミュエル・オールコックが亡くなると、遺産は未亡人とサミュエル(父と同名)、トーマスの兄弟に受け継がれた。父のサミュエルの時代から会社は順調に発展し、雇用する労働者は七百人に迫る勢いであった。しかし1850年代というのは窯業経営が難しかった時代で、特に1851年のロンドン大万博がセーヴル、ヘレンドなどの大陸メーカーに席捲されて、ミントンを除くイギリス勢が大惨敗を喫して以来、チェンバレンズ・ウースターやコールポート、コープランドなどの大立者から中小零細に至るまで、多くの窯業者が凋落の途を辿った。オールコックもセーヴル窯を始めとする大陸窯業の脅威を十分に認識し、1851年の万博ではセーヴル製品を模倣した作品を発表するという、ミントンと同様のコピー戦略でこれに臨んだ(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.69参照)。しかし万博をピークとして、その後の事業の発展は芳しくなく、1853年に創業地のコブリッジ工場が閉鎖に追い込まれた。オールコック兄弟は、会社の企業価値を失わないうちに株式を売却するという手を打つことになり、1859年、ヒル・ポタリーは買収されて、翌年から「サー・ジェームズ・デューク&ネフューズ(「ネフュー」は「甥」の意)」となった。
 サー・ジェームズ・デューク&ネフューズでは、オールコックの技術をそのまま受け継いだ上質なボーンチャイナを焼いた。この体制下の作品は、地色一色に白抜き文様もしくは全面地色がけに、派手な金彩装飾といった、見慣れればすぐにそれとわかる特徴的なデザインのテーブルウエアが作られたが、これらですら今なお「ロッキンガム製」と表記されていることがある。

 本品はサミュエル・オールコックの初期作品で、深い紺色の地に豪華な金彩が施され、多彩色の花絵が描かれている。このように極細の花茎が一本だけ長く伸びる描き方はスポードに始まり、ダニエルやリッジウェイの特徴となったデザインである(「アンティーク・カップ&ソウサー」p.60、65、119参照)。
 金彩には勾玉型のスクロール文と鍵の手文が見えるが、どちらも起源は古く、紀元前から描かれていた波文やメアンダー(雷)文に由来する(「ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑」p.51上参照)。クリーム色の地色の上には金彩でスイカズラ(忍冬)が描かれている。
 カップには類例が少ない変わった把手が取り付けられ、ソーサーは平板な中央部から縁が立ち上がる、お盆のような造形をしている。またカップとソーサーの口縁に不規則な襞飾り(ガドルーン)が見えるが、これを雪や氷が解けた有様になぞらえて「メルティング・スノウ」といい、オールコック製品の特徴の一つとなっている。

 

  


 
サミュエル・オールコック
1840〜45年
コーヒーカップ:H=70mm、D=93mm/ソーサー:D=157mm

 この作品のカップの見込みには、穏やかな港と、そこに入港した船が描かれている。一方ソーサーには、荒れ狂う嵐の海で帆がちぎれんばかりに翻弄される船が描かれている。
 この食器でティータイムのサーヴィスをされた人は、まずテーブルの上に置かれたカップの中の、静かな海と船のシーンを目にする。そこに飲み物が注がれ、カップを取り上げて飲もうとすると、ソーサーの嵐の情景が目に飛び込んでくる。そしてこのようなモティーフに込められた、あるイコノグラフィーを思い出すに違いない。
 ヨーロッパでは船も海も女性名詞である。穏やかな海と船は女性の幸せな暮らしを表し、荒れた海と船は女性の人生の波乱を表す。今は楽しくティータイム、コーヒータイムを過ごしていても、明日の貴女の身にはいかなる災厄が降りかかるかもしれない。果たしてそれは病の訪れか、はたまた愛の終焉か、という意味なのである。
 絵画ではフェルメールの「恋文」をはじめ、このような仕掛けを施した作品がよく知られており、磁器装飾にも早くからこの手法が持ち込まれた。イギリスではマイセンをコピーしたダービー窯で、片面に穏やかな港湾図、その裏面に嵐の船舶図を描いたキャビネット・カップなどが、初期の頃から製造されている。このカップには「ラスティック・ビーン・ハンドル」が取り付けられており、オールコックのハンドル形状では上部のサム・レスト(親指掛け。金彩部分)が曲線に造形されているのが特徴である。

 


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