レアル・ファッブリカ・ディ・ナポリ
1771〜81年 青色で王冠とNの窯印
コーヒー・キャン:H=57mm、D=58mm
 スペイン・ブルボン王家のパルマ公爵ドン・カルロスは、1734年にナポリ王カルロ七世として即位し、九年後の1743年にナポリ近郊に位置するカポディモンテ宮殿内に窯を設置した。その後カルロ七世は、1759年にスペインの王位を継承するためにカルロス三世となって母国に戻るに伴い、カポディモンテ窯の設備や在庫一式をスペインのブエン・レティーロに移転し、カポディモンテ窯は廃絶した。
 カルロ七世からナポリの領有権を譲られた三男のフェルディナンド四世は、カポディモンテ廃窯から十二年の歳月を経た1771年に、王家の別邸であるポルティーチ荘内に窯を建て、翌1772年からスペイン人のトマーゾ・ペレスを窯のディレクターに迎えた。1781年にペレスが亡くなると、ドメーニコ・ヴェドゥーチが経営を引き継いだ。ポルティーチ荘における開窯から二年後の1773年に窯は王宮内に移築され、1806年にナポレオンによってフェルディナンド四世がナポリを追放されるまで窯は繁栄した。
 1807年にかけてナポリ窯は転売を繰り返され、ドッチアのジョヴァンニ・プラール・プラド(仏伊混合名)の所有となり、工場資産は二分されて、片方をクロード・ギヤールとジョヴァンニ・トゥルネが、もう一方をフランチェスコ・パオロ・デルが買収した。その後も窯の所有者は変わり、1834年に廃窯となったが、1806年以降、混乱と士気低下、人材流出が続いたナポリ窯からは、美術的に価値のある作品は生み出されなかった。

 フェルディナンド四世支配下にあった時期におけるナポリ窯の作風はネオ・クラシック・スタイルで、絵付けのモティーフもローマ風の題材やルネサンス風の装飾が好まれた。強いイタリア趣向がうかがえる古典的な作品が多く、無釉薬のビスク焼成でローマ彫刻を模した磁器塑像などが傑出していた。
 本品は不透明な白い釉薬が施された筒型のカップで、艶のある滑らかな表面を呈している。透過光は枯草色である。ハンドルの造型は独特で、両端に深く彫り込まれた溝を持ち、下端には型押しされたロゼット文が陽刻されている。
 口縁部外側には様式化されたパルメットの変形文様が黒で描かれており、この部分は機械的な精確さで仕上げられている。金彩には筆の刷毛目の跡が見え、金の色味は黄色く明るい。
 正面のメダイヨン(リザーヴ・パネル)には、炎が燃える長方形の台と山羊を中心に、これから山羊を屠ろうとする男女がグリザイユ(灰色の濃淡を付けたモノクローム画)で描かれている、ローマ風の衣装を着けた女が脚を、男が角を持ち、これから頸を切ろうとする構図である。絵の周囲はオリーブ・グリーンの地色で塗り込められており、左前方から光が当たったように人物、山羊、台の右側に深い影が付けられており、これによって全体が浮き上がり、あたかもレリーフ彫刻であるかのように見える仕掛けが工夫されている。
 

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